2022年11月01日(火)

法話

あなたの道

住職 釋真暁(松本真暁)

 

先日、知り合いの方がギックリ腰になった。年齢が私より10歳若い方だったので、思わず笑ってしまった。
その後、なんと私がギックリ腰になってしまった。苦笑いをした。

 

それからというもの、いろいろと困ることがたくさんあった。まず、車の乗り降りだ。
普段は何でもないことが、「月」に「要」をやってしまうと、本当に不便に感じるものである。

 

自ら経験をしたことしか人は分からないというが、本当にそうである。思いを巡らし、思惟することはあっても、それには限りがある。
しかも、その経験は嬉しく楽しいこともあれば、辛く悲しいこともある。

 

集中工事の高速道路に乗ったところで、不便さを覚えた。
普段は1時間で済む通勤が、2時間もかかった。おおよそ倍かかった。本当にこんな工事が要るのかと思った。

 

すると、ギックリ腰が痛む、高速道路の段差で痛む。「ああ、そういえば道路には段差があるなぁ。」
普段気づかないことに、痛んでいる時だけ気づくものである。

 

そういえば少し前に、知り合いの息子さんで、間もなく上京をする彼に言った言葉がある。

 

「トップを目指すのも良いけど、俺は道路工事で道路の穴を埋めるかのような仕事をしている。
人生はトップを目指すやつだけで生かされているわけじゃない。
君もどうせトップを目指すなら、人の心の穴を埋めるような仕事をしてトップを目指せ。」

 

伝教大師の言葉を振り返る。
『国宝とは何者ぞ。宝とは道心なり。道心ある人をなづけて国宝となす。
故に古人の言わく、径寸十枚これ国宝にあらず。一隅を照らす、これすなわち国宝なりと』

---最澄『山家学生式』より

 

この文の意味は、「国の宝とは、道を修めようとする心だ。
その心をもって歩む人を国宝という。だから昔の人が言うには、国宝とは大きな宝石ではない。
社会の片隅に生きながら人々に明かりを灯すことができる人が国宝である」と言っている。

 

腰が痛む中、追い越し車線を巧く使うこともできない渋滞の高速道路で、前の車のテールランプを見ていた。
人生は道である。その道は一人だけでは道にならない、幾つもが連なって道となる。

そして、その道の先は見えない。確かかどうか、正しいのかどうかも分からない。
先が見えなければ不安になる、道が狭まるかもしれない、無くなるかもしれない。

 

仏教の道は約2500年前から数多の先人たちの願いによって道となっている。
あなたの人生の道はたくさんの方々の願い、大切な人からの願いがあるだろうか。

 

『自らをよりどころとして、灯明としなさい。法をよりどころとして、灯明としなさい。』

「自灯明、法灯明」釈尊『入滅のことば』より

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