2024年01月07日(日)
お知らせ
お寺の掲示板 vol. 4『伊虫あに朱陽の節を知らんや』谷口愛沙―選 2023年12月
私のなかに南無阿弥陀仏が起こるのは、いつでしょうか。
私は、あの人と合わない、この人からこういうことを言われて腹が立つ、
とついつい思うことがあります。
こうした怒りのなかにいるときは全く見えないのですが、気持ちが少し落ち着くと、私は「私」というものに執着していたのだということに気づきます。
これは、私は正しい、私は勝っている、
私は・・私は・・・と繰り返す「私」のことです。
誰かと自分とを比べて優劣をつけることや、ネガティブな感情を抱くことは、とてもエネルギーのいることです。
だから、できれば、この「私」に執着する私を手放していきたい。
親鸞聖人は自身の著作のなかで、先達である曇鸞大師の以下の言葉を引用されています。
蟪蛄(けいこ)春秋(しゅんじゅう)を識(し)らず、
伊虫(いちゅう)あに朱陽(しゅよう)の節を知らん
『真宗聖典』275頁
「セミは春と秋を知らない。このセミは夏しか生きたことがないから夏も知らない」
という意味です。
セミは春や秋を知ろうと思っても、想像すらできません。
ましてや、夏しか知らないセミは、他の季節と比べようがないから本当の意味での夏も知りません。
「私」に執着する私しか知らないと、私を苦しめている原因や、
「ほんとうのわたし」として生きるということにも気づいていけないのです。
阿弥陀さんは、この「私」に執着する私ではない、
「ほんとうのわたし」に生まれることを願われています。
私がこの「わたし」に生まれたいと願うとき、
それは私のなかに南無阿弥陀仏が起こるときだと言えるのではないでしょうか。
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