2024年06月30日(日)
お寺の掲示板
お寺の掲示板 vol. 7『背のびする自分 卑下する自分 どっちもいやだけど どっちも自分』相田みつお 2024年6月 大谷裕樹―選
『背のびする自分 卑下する自分 どっちもいやだけど どっちも自分』 相田みつを
みなさんはこちらの文を見て
何を感じましたか。
背のびするとは何か。
辞書で調べると
「 実力以上のことをしようとすること。
また、自分を実際以上に大きく見せようとすること。」
とあります。
例として、アニメ「ドラえもん」スネ夫は、
ヤマハ製のモーターボートを所有してることを皆に自慢することで、
自分を良く見せようとするシーンがありました。
しかし、所有しているのはお金持ちの親であって、
スネ夫本人の実力ではありません。
それを、自分の実力であるかのように話すことは、
周りから見るととても虚しいことに思えます。
では卑下するとは何か。
「自分を劣ったものとしていやしめること。
へりくだること。」とあります。
のび太は何か失敗したことがあった際に、
僕はダメな人間だと言いドラえもんに訴えかける、
というシーンがありました。
失敗をすることは仕方の無いことです。
しかし、そこから努力をして改善するのではなく、
ドラえもんの道具に頼るばかりなのです。
自分の悪い部分を分かっていながら、
そこを見ようとしないのです。
それではいつまででも問題は変わらないし、
解決はしません。
この2人の例から共通することは、
両者とも本当の自分に向き合おうとしていない点です。
私たちも自分のことは分かっているつもりになりがちです。
しかし、実際はただ見ようとしていない、
分かろうとしていないだけかも知れません。
なぜなら自分自身と向き合うことは、
とても辛いこと苦しいことだからです。
私も僧侶という立場でありながら、
2人のキャラクターと同じ様に、
自分自身を良く見せたり、
卑下したりをしてしまいます。
なぜなら本当の自分と向き合うよりずっと楽だからです。
私たちは自分自身を見ることはできません。
しかし鏡を使うことで、
自分自身を知ることができます。
同じように自分自身の心を見ることは難しいです。
しかし仏法を聞くことで、
自分自身を知るための鏡になるのです。
無明の闇に覆われている私たちは、
真実がわからずに自分の思いに振り回されて生きています。
しかし、仏法はその闇を晴らすことが出来る、と親鸞聖人は教えてくださいます。
本当の自分と向き合うことが出来ない私でも、
ある瞬間にふと気づくことがあります。
その瞬間を受け取るために、
日々の身の回りの出来事に
積極的に耳を傾けていくことが
大切なのではないかと私は思います。
その瞬間に初めて「どっちも自分」と
受け入れることができるかもしれません。
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